将来、博士課程(後期課程)に進んでドクターを取得したいと考えている学生さんが、実際に進むべきか進まざるべきか・・・と悩むことは必ずあると思います。そういう方に対してドクターコースってどういうもんなのかを説明し、出来ることなら思いとどまるように(笑)、私の経験、考えを書き綴りたいと思います。
なお、本ノートは一度も社会に出たことがない理系の学生さんを対象にしており、社会人ドクター、ペーパードクターは除外します。文系のコースドクターを目指す学生さんには少しは役に立つかもしれません。

 ドクターコースにむいている人

例えば以下のような人です。
  • 研究さえ出来れば出世もお金も結婚もどうでもいい
  • 一日に25時間研究できる
  • 3日くらいなら徹夜しても平気
  • 3日くらいなら風呂に入らなくてもパンツを履き替えなくても平気
  • 禁欲的で三年くらい遊ばなくても平気
  • 三年くらいなら土日祝日は要らない
  • 三年くらい無収入でもやっていける蓄えがある、または援助してもらえる
  • 学校から給付奨学金をもらえる、または学振の特別研究員として研究できる

これらをみて、ありえないと少しでも思った人はドクターコースを諦めてこのノートをさっさと閉じましょう。読むだけ時間の無駄です。大丈夫、自分はやれると思ったら以下読み進めてください。
経済的な問題は本人のやる気とは全く別問題なのですが、残念ながら現実問題としてドクターコースに在籍するとアルバイトは出来ず、蓄えまたは援助がないと貧困のせいで研究どころではありません。

 ドクターで飯は食えない

言うまでもなくドクターはただの称号であり、資格ではありません。従って博士の学位を授与されても全く飯の種にはなりません。ドクターを取るために心血を注ぐくらいなら、TOEICの勉強して900点目指してください。そのほうがナンボか役に立ちます。

 博士号を持っていて得をしたことは一度もない

私だけなのかもしれませんが、博士号を持っていて得をしたことは一度もありません。就職が有利になるわけではなく、生きていく上で必須の能力でもなく、はたまた自慢するものでもないし、道場の看板のように表札の横に立てかけるものでもありません。それがドクターです。
戒めとして役立つことはあります。仕事を終えて家に帰って飯を食い、あー疲れた・・・とゴロンとしたときにふと思い出すわけですね。自分は博士である。と。ああ、駄目だ。ゴロンとする前に二時間ほど勉強しよう・・・というモチベーションにはなります。
名刺に「博士」と付いている以上、周りからはそういう目で見られわけで、それにふさわしい人間にならなければと、元来ナマケモノの私をも机に向かわせるに十分な重みはあります。

 ドクターを取る意味がある大学、ない大学

この項では非常に失礼なことを書きます。ご容赦ください。はっきり申し上げて学力の低い大学でドクターを取る意味はないと思います。
ドクターは手段であって目的ではありません。ドクターを取る過程でどれだけ勉強したか、ドクターとして、日本の頭脳として新しい知見を得るための最低限の能力を身につける修行をしているか、これが重要です。厄介なのは「最低限の能力」が大学によって異なることです。微分積分すらまともに出来ないのに学位が授与されてしまうような大学も確実に存在するのです。
一方、一般人がドクターに対して持っている「偏見」は科学のことならなんでも知っている、です。医者ならどんな病気でも治せると我々が思ってしまいがちなのと同じで、ドクターならどんな問題でも解決できるだろうと思われてしまいます。
専門外のことでも知らない分からないは通用しない、それがドクターだと思ってください。でないと専門ではないので分かりませんせん、と答えた時点であなたはやぶ博士になります。なぜなら、未知の現象に対して回答を与えることが出来るのがドクターだからです。
大学のレベルに関係なく才能があり、勉強が好きで、ドクターをとってからも毎日毎日新しい知識を吸収できる人ならば今はまだ蕾でもいつかはそういう才能が開花するはずです。しかしそういう人がいる確率は中堅大よりも難関大のほうが多いでしょうし、中堅大以下では先生のレベルが低いため、大幅な回り道をしかねません。また下手にドクターを取ったがためにその名前の重さに潰されてしまいかねません。
このような理由から、それなりの難関大の大学院に進学できない方はひとまずドクターを保留して企業に就職し、現場でどんどん鍛えてもらって才能を開花させた暁に、やはりドクターが必要だとなったら社会人ドクターを取ればいいだけの話です。

ポイント

  • うんざりするほど適当なカス論文が世に出回る一因は
  • 上記が関連していると思います。
    ドクターを取るために殆どの大学で投稿論文が必要です。
    また研究機関に所属する人は論文の内容よりもむしろ
    投稿数と引用数で実績が決まってしまいます。
    両者とも、由緒正しき雑誌に投稿するにはそれなりの能力が必要で、
    その能力がない人は査読のない、またはまともな査読をしない
    カス雑誌ばかりに投稿し、
    ドクターの規定を満たしてしまうとか、
    身内で引用ごっこをして投稿数と引用数がどんどん増えて、
    いつの間にかオーソリティになっているという状態です。
    こんな研究ごっこのために貴重な三年間を研究室生活に費やすくらいなら
    さっさと就職して金を稼ぎましょう。
    低レベルな先生について研究するくらいなら
    その分企業で揉まれたほうが能力は開花しますよ。
    そのほうが絶対に自分のためです。


 一般企業志向の人は絶対に博士を取るな

一般企業に就職したいと思っている人は絶対に博士に進むべきではありません。大体の企業はドクターを欲しがりません。(就活サイトで博士を募集している企業は除きます)ドクターが必要なときは会社の金で社会人ドクターを取らせます。従って学生がドクターを持っているかどうかなどどうでもいいのです。
もう一つ、一般企業への就活において、新卒ブランドともいうべきものが存在します。とにかく日本の民間は新卒を欲しがります。なんの汚れもなく、何の思想にも侵されていない、若い新卒を自社に就職させ、自社好みの人間に育て上げ、挙句リストラして人格を蹂躙する。このようなエ●ゲー真っ青なことを日本の企業はやっているわけですが、それが日本のしくみなので文句を言っても仕方ありません。そしてこの仕組が通用するのは修士まででありドクターコースに行くのはこの仕組から逸脱し、新卒ブランドを放棄するにほかなりません。
考えてもみてください。めでたく3年でドクターコースを終了しても、27歳か8歳くらい。浪人して大学に入った、留年した、修了に4、5年かかったら簡単に30歳を超えます。
勉強ばかりして頭でっかちで小生意気で、5Sも電話の取り方一つも知らない30歳前後の人間に、同年代の中核社員と同じだけの給料を出そうなんて企業がどれだけあるのか。手取り18万で採用するにはドクターの看板は重すぎるし、手取り30万で能力未知数の人間を採用するにはドクターの看板は軽すぎる。どうやったって一般企業に就職するのは不利です。


 人生をマネジメント出来ない人間はドクターに進むな

いや、俺は企業に就職しない。研究者になって大学に残る、または研究所に就職するから関係ない、と思った人は考えが甘すぎます。
あなたが進もうとしている世界はいわばプロ野球です。あなたは地元では名の通った名選手でエースで4番だったはずです。甲子園にも出て注目を集め、ドラフト1位で華々しく入団、しかし全く結果を残せず数年後、人知れずひっそりと引退して「あの人は今」のあの人になる、かもしれない、そういう世界に進もうというのです。
無事に学位を取得し、ポスドクとして数年修行し、そして大学の助教なり研究所の常勤なりになれるのはほんの一握りだということを認識してください。ポスドクは全国に腐るほどいて年間何報も一流雑誌に発表するような優秀な人がしかし相変わらず大学教員の椅子を奪えない、それが現実です。
従って、必ず退路は用意しておかないといけません。それが人生のマネジメントです。ところがドクターコースに進んだ人間がカタギに戻るためのハードルはあまりに高いという問題があります。新卒ブランドを捨てたということも一つではありますが、一番の問題はあなたのプライドです。
人間、飯を食ってナンボ、いつまでも芽の出ない生活をしているわけにはいきません。労働と納税の義務を果たしてこそ一人前の人間です。生きていくためにはどんな仕事だってしなければいけません。場合によっては今まで学んできた知識や技術を全く生かせない職種にしか就職できないことだってあります。でもそうなるとあなたはただの歳をとった新人でドシロウトです。ドクターとしての能力を活かせる仕事につくよりも収入だってきっと低いですよ。それが許せますか?
これはちょっと極端な例ですが、プライドが邪魔して人生の軌道修正が出来ないような人は絶対にドクターコースに進んではいけないのです。


 ドクターになれるかどうかの半分は教授次第

ここまで読んでいただければドクターコースに進学することは非常に問題がある(!)と理解して頂けると思います。しかしそういう関節の外れたとでも表現すべきヤクザな世界で必死に頑張っている人がたくさんいることも事実です。
ところが。ところがですよ。ドクターになるために寝る間も惜しんで研究している人たちの努力を無にしてしまう存在がいます。
それが指導教官です。指導教官がどんな優秀な頭脳を持っていても人格破綻者であれば、その先生の下でドクターを目指すことは裸で南極探検をするようなもんです。
まず、投稿論文を学生さんだけの力で書き上げることは難しいです。仮に書き上げても査読者からのいやらしい攻撃に耐えきらないと雑誌には載りません。この一連のプロセスで指導教官の助力は必須でしょう。
またドクター論文は教授がGOサインを出さないと書けません。書いても意味がありません。審査の対象にしてもらえないからです。どんなに優れたノーベル賞級の研究であっても、教授が論文を審査すると言わない限り、その教授の下でドクターをとることは不可能です。
もしあなたの指導教官が頭のネジの2、3本でも緩んでる人だったらどうでしょうか。平然と協力を拒否しますよ。実際に類似のアカハラはあります。不幸にもそれで首を吊った学生さんもいます。
あなたの能力とは無関係にドクターになれるかなれないかが決まる可能性がある。それがドクターコースだと思ってください。従って、あなたの指導教官が人格者で指導をしっかりしてくれる人かどうかを見極めてください。

 ドクターは焦る

ドクターは孤独です。そして焦ります。学部生時代、修士時代の友人たちは定職についてどんどん出世していきます。結婚し、子供が生まれ、家族仲良く写ったむかつく年賀状を毎年送り付けてきます。ボーナスが出た、車を買った、家を買った等々、もうあまりにも違う世界の話が友人たちから舞い込み、自分だけ完全に置いてけぼりを食らった気持ちになります。
学生時代、ドクター仲間(嫌な響きです)とよく言い合いました。なんでこんな世界に来てしまったんだろう、と。勉強すれど勉強すれど我が人生先は見えずじっと手を見てしまうわけです。
この孤独感や焦りたるや筆舌に尽くしがたく、浮世への想いを断ち切ることなくドクターコースに所属してしまった人は地縛霊のようにシャバへの未練を抱き続けることになります。

 最後に

このノートを読んでドクターなんてやっぱやめたと思った方。それが正しいと思います(笑)。あんなヤクザな世界、普通の人間は進むものではありません。
いやそれでもドクターコースに進む!と決めた奇特な方、決めたからには全力で取り組んでいただきたいと思います。
私は別にドクターをバカにしているのでも否定しているのでもなく、ドクターを目指すことはハイリスクであることを知っておいて欲しいだけです。日本の社会はドクターに対してあまりに冷たいがゆえ、あなたのその優秀な頭脳を宝の持ち腐れにするリスクが有る、そういうことです。でもドクターに進むのであれば、どうぞ素晴らしい研究者を目指して学問に勤しみ、日本の頭脳として活躍される日が来ることを願っています。