細井日達の師僧は、第57世大石寺貫首である阿部日正であった。日正は大正11年10月13日、日蓮大聖人への「立正大師号」宣下にあたり、 日蓮門下各派の管長たちと宮内庁へ出向いて「宣下書」および添え状を下された後、東京・築地の水交社に赴き、日蓮宗管長・磯野日莚を導師に勤行をした。その日正は舌癌により、大正12年8月18日、養生先の静岡県興津で亡くなった。この時、日正は相承をすることができなかった。
宗規に基づき、大学頭の地位にあった土屋日柱が第58世大石寺貫首となる。日正から日柱への相承については、日正のまわりに"法主"の座を狙う阿部法運(日開)の手の者がいたため、日柱と必要な連絡を取ることができなかった。日正は、転地療養とは名ばかりで、法運派によって興津の貸家に幽閉されていたのだ。
日正の相承について、『惡書「板本尊偽作論」を粉砕す』(日蓮正宗布教会発行)では、
「大阪の中光達居士、牧野梅太郎氏とを召されて、一切の者を遠ざけて後事を托されたのであった。(中略)かくて日柱上人との脈絡は完全についたのである」と記載されているが、これは同書を著す時、日達が日正ゆかりの人々を集め、「これでいいな」と口裏を合わせ、相承が二人の在家を経てなされたと擬装したものである。日達にしてみれば、自分の師僧が相承もせずに死去した事実は、決して宗史に刻みたくなかったのであろう。



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