「逢坂」と「大坂」は、同じ意味です。


 都に上るために超えなければいけない峠のことを、
 「おおさか」と言いました。


 役行者が、
 「おおさか」に、
 「逢坂」を当て字したのです。


 逢坂の関は、
 京都府の南東の端、
 山科と、
 滋賀県の南西の端、
 大津を隔てる峠です。


さて、滋賀と京都と、
どちらが四次元的に上かという問題です。


 京都には、
 平安京があったので、
 京都が上となります。


しかし、
 逢坂の関は、
 何時出来たのかということです。


平安京を作った天皇は、
 五十代桓武天皇です。


 逢坂の関を作ったのは、
 四十代天武天皇なのです。


さらに、
 天武天皇は、
 「逢坂」に関所を作ったので、
 「逢坂」と命名したのは、
 天武天皇より以前の、
 三十八代天智天皇の時代です。


 天智天皇の都は、
 大津にあったのです。
もちろん命名したのは、
 役行者です。
 役行者は天武天皇とも、
 天智天皇とも、
とても仲が良かったのです。


この話はとても重要なので、
またの機会に。


しかし、
 役行者が、
 「逢坂」と命名する前に、
 「おおさか」という地名があったのです。


さて、
 大和朝廷が出来る前、
 大津と山科のどちらに都があったのでしょう。


このテーマは、
 只今研究中です。


 続く.